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タイ深南部勉強ノート

英語、タイ語、マレー語、日本語からタイ深南部紛争地域の情報をぼちぼち整理しています。 自分用のメモなので時々書き直し、追加あります。

第4管区指令官について

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第4管区指令官について

クーデター後、タクシン派が徹底的に排斥されていますが、その影響は今後も続く見込みです。

タイの軍管区は、バンコクを含む中部が第一管区、東北方面が第二管区、チェンマイを含む北部が第三管区、そして深南部を含む南部が第四管区となっています。第四管区指令官はISOC第四管区の指令官兼任で、深南部の治安に責任を持つ重要なポジションです。

一方で、クーデターで主力になり、政治力がある第一管区と比べ、南部勤務は危険な上、中央とは異なる文化風土のため、この地の出身でもないかぎり、率先して南部を希望する軍人は少なく、仕官学校やその後の軍大学での成績順で任官先を選ぶ軍人にとって、南部は常に最も人気のない勤務地となっています。(ただし、現在は他の管区でも深南部勤務は1年単位で持ち回りであるため、第四管区でないからと言って深南部に送られないということはありません。)こういう背景もあって、第四管区指令官経験者が出世して、トップの陸軍指令官になることはほとんどありません。

現在の第四管区指令官はワーリット中将ですが、彼は2010年のパンファー橋での赤服デモ隊と軍の衝突の現場で第2歩兵師団長として指揮を取っていました。この時、ワーリット少将(当時)は、赤服側の戦闘員に狙われて、足に爆弾を受けて重傷を負い、側にいた彼の参謀は即死しました。また、ここで取材をしていたロイターの日本人カメラマンも狙撃されて死亡しています。

そのため、彼は赤服の天敵と見なされていて、その後も第一管区副司令官、陸軍参謀長補佐、第一旅団長を経て、実戦部隊としては最重要である第一管区指令官就任が確実視されていましたが、国防大臣兼任だったインラック首相との人事駆け引きでプラユット指令官が譲歩したため、かわりに第四管区指令官に任命されました。彼は2006年に1年間ナラティワート県の指令官を務めていますが、基本的に第一管区勤務で、南部の経験は長くはありません。

そして、タクシン派が一掃された今、次の10月の人事でワーリット中将がより重要なポジションに戻されることが確実になってきました。後任には第四管区副司令官が就くと言われています。


参考論文:玉田芳史:クーデターとその後 タイ陸軍の人事異動と政治介入(軍の人事異動について詳しい論文)


9月1日追記
ワリット将軍10月の人事異動で参謀補佐へ

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