9月16日、マラヤ共産党の陳平(チンペン)が90歳でバンコクで亡くなりました。
陳平は、第二次世界大戦後、英国とマレーシアから独立して共産国家を建てるため武力闘争を行いました。1989年にマレーシアとの和平合意が成立した後もマレーシアへの帰還を許されず、タイで生涯を終えました。
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陳平に関するWIKIPEDIA→
マラヤ共産党に関するWIKIPEDIA彼は人気のあった人物で、
バンコクでの葬儀には大物を含め大勢の人が出席しました。
チャワリット元首相は、タイでも共産主義者を投降させ和平に成功した人物ですが、南でも1989年のハートヤイでの和平合意の後押しをしました。彼は陳平の人柄と闘いを賞賛しました。
キッティー前第4管区副指令官や
アカニット・元タイ-マレー調整センター長等の南方面の軍幹部達もこぞって弔問に訪れています。
マラヤ共産党は、1948年にナラティワート県ランゲー郡で起きたドゥソンニョー事件の背景となったり、
深南部のムスリムではマラヤ共産党に参加した者もいたりと、深南部にも深く入り込んで活動しており、その対応はタイーマレーシア政府の協調で行われました。
陳平とタイの関係は、BRNとマレーシアの関係の裏返しのように思えます。「
マレーシアにとっての南タイ」で軍幹部が述べたように、協調しつつも不信感を持っている両国の関係の一端なのでしょう。