忍者ブログ

タイ深南部勉強ノート

英語、タイ語、マレー語、日本語からタイ深南部紛争地域の情報をぼちぼち整理しています。 自分用のメモなので時々書き直し、追加あります。

陳平とタイ

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

陳平とタイ

9月16日、マラヤ共産党の陳平(チンペン)が90歳でバンコクで亡くなりました。

陳平は、第二次世界大戦後、英国とマレーシアから独立して共産国家を建てるため武力闘争を行いました。1989年にマレーシアとの和平合意が成立した後もマレーシアへの帰還を許されず、タイで生涯を終えました。

陳平に関するWIKIPEDIA
マラヤ共産党に関するWIKIPEDIA


彼は人気のあった人物で、バンコクでの葬儀には大物を含め大勢の人が出席しました

チャワリット元首相は、タイでも共産主義者を投降させ和平に成功した人物ですが、南でも1989年のハートヤイでの和平合意の後押しをしました。彼は陳平の人柄と闘いを賞賛しました。

キッティー前第4管区副指令官やアカニット・元タイ-マレー調整センター長等の南方面の軍幹部達もこぞって弔問に訪れています。

マラヤ共産党は、1948年にナラティワート県ランゲー郡で起きたドゥソンニョー事件の背景となったり、深南部のムスリムではマラヤ共産党に参加した者もいたりと、深南部にも深く入り込んで活動しており、その対応はタイーマレーシア政府の協調で行われました。


陳平とタイの関係は、BRNとマレーシアの関係の裏返しのように思えます。「マレーシアにとっての南タイ」で軍幹部が述べたように、協調しつつも不信感を持っている両国の関係の一端なのでしょう。

拍手[0回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
Yu
性別:
非公開
自己紹介:
本業ではありません。