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タイ深南部勉強ノート

英語、タイ語、マレー語、日本語からタイ深南部紛争地域の情報をぼちぼち整理しています。 自分用のメモなので時々書き直し、追加あります。

ISOCのBRNへの回答

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ISOCのBRNへの回答

治安を担当するISOC(国内治安作戦司令部)は、開発を担当するSBPACと並び深南部の柱の組織ですが、職員数200名ほどのSBPACと比べ、兵士・職員で6万人以上を抱える大所帯です。NSC、SBPACがタクシン派政府側とすれば、ISOCはそれに対抗する軍の代表と言っていいでしょう。

そのISOCが上位機関であるNSC(=パラドン事務局長)に対して、BRNの5つの要求への対案を提示しました。その内容がちょっとだけ気になったので紹介します。

要求の1:パタニ民族の代表としてBRNがタイ政府と交渉を行うこと。

 → 回答:BRNが他の分離派組織をコントロールできること、及び地域住民に(代表として)認められていることを証明せよ。
 
要求の2と3:マレーシアを調停者(mediator)に任命すること、ASEAN, OIC(イスラム協力機構), NGOを証人として協議に参加させること。

 → 回答:拒否。深南部はタイの国内問題であり、外国を介在させない。

要求の4.パタニの土地に対する主権(pertuanan)はメラユパタニ民族にあることをタイ政府は認めること。

 → 回答:歴史的にこの地を支配してきたというBRNの主張は疑問。彼らが支配したのは歴史のある時期だけでずっと支配していたわけではない。
 
要求の5:BRNは、全ての政治犯の釈放及びパタニ戦士に対する逮捕状の取り消しを無条件で行うこと。

 → 回答:裁判にかけられているケースは司法の手続きに従うべき。ただし、非常事態令下の逮捕状に関しては考慮できる。


1は、ラマダン停戦という形で証明させようとしましたが失敗しています。5は一部譲歩可能ですが、全員の無条件釈放で譲らないBRN側の拒否で実現していません。2,3もはねつけています。

と、ここまでは、今までの状況と変わらないわけですが、今回おやっと思ったのは、4の歴史認識の違いを持ち出した点です。これまでは、「主権はマレー系パタニ民族にもあるが、全てのタイ国民にも同じようにある。従ってマレー系パタニ住民にのみ主権を認めることはできない。」というのがタイ側の考えだったように思います。それが、今回はBRNが根拠とする「歴史」に異議を唱えています。

この地の「歴史」は複雑で、とてもこの中で説明できないし、また諸説あるようなのですが、7世紀以前はタイ系の人々が実権を握った時代もあるようです。パタニ王国が成立したのは14世紀以降ですが、スコータイ朝やアユタヤ朝の朝貢国で、17世紀には山田長政が反乱の鎮圧に向かっています。17世紀末のアユタヤ朝の崩壊で完全に独立しますが、1786年に再びタイのコントロール下に入ります。しかし正式にシャムの領土となったのは20世紀に入ってからです。

朝貢国であったことが、独立性がなかったこととは同義ではないですが、完全に独立していた時代もそれほど長くなく、どちらの視点に立つかで解釈が違ってきます。これでは、議論が堂々巡りになってしまいます。

おそらくISOC側もそれをわかって回答しているのでしょう。まだ、本格的に「交渉」する段階ではないようですね。

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