シーソンポップ ジットピロムシー
ディープサウスウォッチ
2004年1月から2008年まで8541件の事件、3287人の死者、5409人の負傷者、2007年の7月から暴力事件は減少しているものの、以前として6万人以上の軍と治安関係者が深南部に配置されている。ピークの2005年には2297件の暴力事件が起こった。続いて2007年が1861件、2004年の1850件と続く。1日当たりの事件数はそれぞれ6.3、5.1、5.06件である。2008年は急激に減少して2件となった。
治安構築のための政策、戦略そして投入
開発の手法を伴った抑圧的な軍の作戦が暴力の減少に大きな役割を果たしている。しかし、こういった政策はコスト高であり、好ましくない結果をもたらすかもしれない。軍は反乱分子の掃討を2007年の初めに開始したが、暴力は2007年の5月と6月にナラティワートとヤラーで起きた25人の治安要員の命を奪った3つの攻撃で最高潮に達した。そしてヤラー県バンナンサター郡とナラティワート県スンガイパディー郡では軍は作戦を行った。これは村に潜むコアメンバーの逮捕、もしくは彼らをコミュニティーから押し出すことを目的としていた。さらに広範な逮捕もそれ以前に逮捕された容疑者から得られた情報をもとに行われた。このような大規模な作戦のために6万人以上の治安要員が配置され、2004年~2009年の間に1092億9600万バーツの予算が組まれた。このうち817億4800万バーツが既に使われている。この間、事件は2004年~2007年の平均1238件から2008年の718件に減少したが、これはつまり1件減らすために8828万バーツが費やされた計算になる。しかもこれは治安に関する公式な数字で、もし公開されないものも含めれば費用は倍になるだろう。もう一点考慮されなければならないのは、軍による抑圧的な作戦が人権侵害や当局による誤った対応に繋がる可能性である。組織的な人権侵害や虐待が多く発生すれば、その目的とは逆に人々の国に対する敵愾心や暴力行為が増幅されるかもしれない。
暴力の質的変化
2007年6月の作戦開始以来、暴力の件数は減っているが、犠牲者の数は予測できなくなっている。これは反乱分子が標的を絞ってより多くの犠牲者が出るように攻撃内容を変えた可能性がある。注意深く見なければならないことは、抑圧的な軍の作戦は反乱分子の動きを封じることに成功したかもしれないが、政治的な勝利や紛争の構造的な変化を引き起こすことができなかったということである。治安部隊が犯すどんなミスも、自動車爆弾のような大規模攻撃という結果をもたらすようになった。その目的は恐怖を一定のレベルに保ち、暴力を通して政治的なメッセージを届けるためである。国家が攻撃の中心的人物を特定し、この動きが何を望んでいるか理解しない限り紛争の解決は困難である。暴力がある程度減少したという現象は、単なる彼らの戦術に過ぎないかもしれないのだ。
5年間の紛争解決戦略
2004年に反乱が再活性化してから、タクシン政権の政策策定上の大きな誤りにより2005年には暴力はさらに激烈かつ組織的になった。2006年には攻撃は方向性のない行き当たりばったりでなく、組織的でかつ構造的であるという分析がされた。これは宗教間の暴力を扇動する動きがあり、さらにそれが組織化されているということを意味している。この動きには、政治的な意図、イデオロギー、動機そして戦略があるのである。2006年には暴力は、女性と子どもによる国家の抑圧的なやり方に反対する抗議のような政治デモにまで拡大した。当局は問題解決のために「政治」を利用する際、慎重かつ賢明に振る舞わなければならない。ここでの政治とは、反乱分子が戦うためのイデオロギーや大義名分となっている民族、歴史、宗教に関わる一つのアイデンティティーのことである。
国家は法を犯さないよう国家権力の使用に制限をかけるべきである。さもなくば異なった民族間の内戦や大量虐殺へと発展していくかもしれない。そして一連の活動は紛争をエスカレートさせ国際社会の問題となることを狙っているのである。
タクシン政権がクーデターによって追放されたにもかかわらず2007年も暴力は続いた。スラユット首相がマレー系ムスリムに謝罪したことが政治的な前進であった。しかし、この和解アプローチは結局何も具体的な成果をもたらさなかった。一連の残忍な攻撃の後、国家は何度も非常事態宣言のもとに掃討作戦を行った。これは2007年後半から2008年の暴力事件の減少をもたらした。
2004年~2005年は政策にも民兵を単なる犯罪者と見なしていたが、近年はイデオロギーの戦いと見るようになった。最近の当局者の言葉は、紛争解決の鍵となる政治、ものの考え方、感情に常に注目している。
しかし、2008年の実際の状況を見ると、混乱した政治状況が軍の戦術にも混乱をもたらした。バンコクの政治的緊張は政府の南部への注意をそらし、一方で軍が依然として深南部3県の状況をコントロールしていた。
軍の効果的な戦術とより良い情報網が暴力事件減少の理由だが、国防省副事務次官ワイポット大将によれば、統計上の減少は戦術の変化を示しているかもしれないが、戦略の変化ではない。敵対する2者の戦略はどちらが決定的に勝利を収めることができないほどお互いに拮抗している。そのため望ましい解決法は正義を推進し、軍隊を統制する政策を厳格に運用することである。
政治改革を解決への一つの方法として検討すべきである。地元のニーズと文化的社会的独自性に合致した統治制度を発展させなければならない。そして様々なグループの人々が紛争について議論できる政治的対話の機会を持つべきである。紛争への政治的アプローチは、文化的多様性のある地域における持続的平和を回復するための治安維持コストや損失を最小限にできるだろう。
ソース:ディープサウスウォッチ
http://www.deepsouthwatch.org/node/278 (英語)
http://www.deepsouthwatch.org/node/277 (タイ語)
1. 無題
・タイ語と英語ではやはり少し違うので、基本的に英語を元にわかりにくいところをタイ語で確認しました。
・3年以上前の記事ですが、元のホームページでは英語に約3400、タイ語に約3200のアクセスがあり、タイ国内だけでなく国際的にも関心が高いことがうかがえます。