混乱が進む状況下の人権[1]: 人権活動家と軍幹部の対照的な意見①の続きです。
http://souththai3.seesaa.net/article/312870304.html
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「人権侵害について話す時、二つの特別法、非常事態令と戒厳令について議論することは不可避である。しかし、我々は普通の犯罪者と戦っているのではないことをあえて言わねばらならない。彼らはパッタニーに独立をもたらすために周到な計画と明確な意図を持ったグループなのだ。]
スパット ウィチットカーン少将
市民警察軍合同部隊副司令官
最初に私は南部国境県の状況下における真実を伝えたいと思う。何が事態の本当の疾患で原因なのか。我々が事態の背後にある問題の確認についてしっかりとした理解を持てば、お互いに及ぼす負の影響を抑えて解決方法を見つけることができるだろう。
学術論文の中には文化、政治、経済、教育そして薬物を含む要因が重なり合ってこのような事態となっていると述べているものもある。実際は、逮捕者から得た情報を元にするとタイから分離を狙っているグループがいることははっきりしている。この要因が他と比べて突出している。確かなことは他の要因がこの政治的目標と接点を持って状況にさらなる影響を与えていることだ。
まず、 南の(分離)運動は、もともとの統治権を失った地域の元指導者たちから反対されている。 運動は地域とマレーナショナリズムの理念の下、パッタニー国の形成を中心に説明する歴史を教えることによって大衆を動員しようとしている。この考えの重要な側面は、パッタニーは全てのイスラム教徒がその一部を形成るうイスラム国家であるという点を強調することである。ここで問題となるのは、全てのイスラム教徒が聖戦に参加することを要求する宗教指導者を認めることができるか?ということである。
これまで集めた証拠により、分離運動は革命戦争を通してパッタニーを分離独立させる7段階の計画を持っていると考えている。この中の重要な点は、仏教徒への敵意を作り出すこと、現在の状況について政府公務員を非難すること、恐怖の文化を作り出すこと、イスラム教徒がタイ政府に報復する事を奨励することが含まれている。。
こういった考えは2層構造を持っているパッタニーマレー国民革命戦線組織(BRN-C)によって広められた。この組織は、上層部は指導評議会をもち、下層部では村レベルの指導者から成っているたくさんの自律的な小集団を持っている。村レベルの指導者たちはイスラムと仏教徒の宗教的違いとタイ国家からの独立達成の重要性を強調してタイ政府当局に敵対する感情を煽ることに集中する。
多くの村では、子どもたちが小さなパロトール集団であるRKK(小集団)のメンバーとなった。RKKはBN-Cの武装組織であり、地元中心、特に村レベルで活動している。加えて、様々な地区を横断的に活動するための集団も存在する。
若者の動員という点では、RKKは子どもがまだ小さいうちから勧誘して指導しようとしている。事実、一般的に勧誘は村の寺院に付属している7歳から12歳の子どもが通うイスラム小学校で始まる。 この勧誘は伝統的なイスラム寄宿学校(ポノ)やイスラム私立学校でも同様に続く。特に、RKKは、頭のいい子どもを運動に参加させようとしている。地元のRKK関係者は 繰り返しシャムのパッタニーへの侵略とタイ国家の地元住民に対する差別と虐待について小さな子どもに教える。
しかし、いったいどうして彼らは子どもを兵士として使えるのだろうか。なぜこんなことができるのだろうか。彼らは南部国境県の子どもの未来を破壊している。私はある子どもが道路に釘を撒こうとして捕まった時の話を聞いた。この子はこの命令に従いたくなかったが、まさに逮捕されて解放されたばかりだというのに再び同じことをするように命令された。この小さな子は他に選択肢がなかった。子どもが運動に参加すると、命令に従わなくてはならないし、抜けることは許されないのである。
BRN-Cの基本的な戦略は、当局が対応しなければならないような状況を作り出すことである。パッタニー独立国を創設するために国際的な注目を獲得したいという意図を持って暴力という手段を用いている。
政治的な戦略は7段階ある。民族主義者の感情を鼓舞する、宗教を動員の道具として使う、様々なクラブや国際組織と同盟するために秘密組織を設置するといったものもある。
BRN-Cの軍事戦略は、その武装グループに頼っている。しかしBRNーCの民兵が作戦を行う時はいつも一人か二人のメンバーしかいない。
これらの他に、BRN-Cは政治的な目標を抱いている。その軍事作戦の目的は政治的である。つまりタイからの独立の獲得である。この目的に向かって地元民の恐怖をかきたて、タイ政府を信用させないようにしようとしているのである。中国の毛沢東のように、このグループは人々の運動を軍事力によるのみでなく、イデオロギーによって編成しようとしているのである。
多くの人々が南部の戦争に不利な影響を受けてきた。そして多くの人々が洗脳されBRN-Cのために戦うように騙されてきた。BRN-Cメンバーの多くが戦争に参加していることに誇りをもっているかもしれないが、彼らの努力は悪い結果を生んでいる。事実、公式報告書によれば、2004年1月から2009年の3月まで3378人が殺され、5900人が負傷している。
暴力を減らし戦争を終わらせる努力の一つとして、この地域に派遣する治安部隊を増員してきた。各司令官は兵士にこの地域の190万人の人々の安全と平和を守るように言ってきた。兵士たちは自分達の責務は当局が地域の発展の機会を持てるよう道を開くことだとも言われた。
しかし、人権侵害について話す時、二つの特別法、非常事態令と戒厳令について議論することは不可避である。しかし、我々は普通の犯罪者と戦っているのではないことをあえて言わねばらならない。彼らはパッタニーに独立をもたらすために周到な計画と明確な意図を持ったグループなのだ。
2004年1月4日に第4陸軍開発区が襲われたのち戒厳令が布告された。2005年7月20日にはタクシン首相(当時)が非常事態を宣言した。非常事態令は人々の権利のある面で影響が出る。実際にこれらの法律はタイ治安部隊と公務員に過大な権限を与えていると見なす人もいる。しかし、我々は適切で透明性のあるやり方で責務を遂行していることを示そうと努力している。例えば、容疑者に面会したい親族がいれば当局に連絡を取ることができる。もっと大事なことは、警察官が職権乱用で有罪になった場合、懲罰を受けなければならないことである。
戒厳令は当初はソンクラー県のサバヨイ、テパ、、チャナ、ナットワィー郡では適用されなかった。しかし、ハートヤイを揺るがした爆発が経済に強い衝撃を与えた後、戒厳令はこれら4郡でも敷かれるようになった。
戒厳令は当局に途方もない権限を与えるが、我々はこの権力を乱用していない。例えば、我々はヤラー県のヤハ郡やバンナンサター郡といった状況が深く影響している地域しか普通は捜索や取り締まりをしない。
そしてこれらの法は治安面に影響があるだけで、宗教面には何の影響もない。みんなが夜9時までに帰宅せざるをえないから戒厳令があるのはよいことだとさえ言う宗教指導者もいる。
非常事態令の核の部分は当局が30日間容疑者を拘留できる法的根拠を与えていることだ。実際には容疑者が拘留されるとインカ ユッタボリハーンという尋問部署が拘留場所まで連れてこられた容疑者の取り調べの責任を負う。しかし、この部署は法律制度に含まれていない。この30日の間、宗教教師が現れて、反政府容疑者が態度と信条を変えるよう説得の手助けをする。この方法は国家当局がタイの南部国境県を苦しめている運動を終わらせるためにより多くの情報を得るのに役に立っている。
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メモ:全然①と話がかみ合っていなくて、訳していてくらくらしました。
http://www.deepsouthwatch.org/node/310 (英語)
http://www.deepsouthwatch.org/node/290 (タイ語)