深南部の政策実施体制は過去10年の間、何度も変更されています。トップは首相であるものの、ほとんどの期間は軍がコントロールしていました。現在の体制と各機関の機能については
こちら。
2002年(タクシン政権、南部国境県行政センター(SBPAC)の廃止後)タクシンがSBPACを廃止し通常ラインである内務省に業務を移したため、国内治安維持司令部(ISOC)のみが深南部で活動していました。
政府(首相)
↓ ISOC(バンコク) ↓ ISOC前線 2004年10月(タクシン政権、クーデター前)紛争が激化したのを受け、南部国境県平和構築司令部(Southern Border Provinces Peace-Building Command)を設置。しかし、首相が指名したトップは陸軍第4管区指令官でした。その下に軍、警察、市民のタスクフォースが活動していました。
政府(首相)
↓ 平和構築司令部 ↓ タスクフォース 2006年クーデター後クーデター後のスラユット暫定政権は早速SBPACを復活させました。当時国内での存在意義が曖昧になっていたISOCも国内治安法(ISA法2008年)と組織改変でより強力に立て直されました。SBPACはISOC指揮下に置かれ予算も分離していませんでした。
政府(首相)
↓ ISOC(バンコク) SBPAC ISOC第4管区(南部) 2010年(南部国境県行政法施行後)2010年にアビシット民主党政権で南部国境県行政法が施行され、文民統制のSBPACはISOCの指揮下から離れ首相直轄の機関として独立。これにより開発予算も治安とは別に組まれるようになります。
政府(首相)
SBPAC ISOC
↓ ISOC第4管区2012年1月(開発戦略委員会設置後)2010年南部国境県行政法に設置が定められた開発戦略委員会がやっと始動。しかし、首相と大臣で構成される開発戦略委員会は3ヶ月に一度しか開かれず、日々変わる状況に対応するのが難しくなってきます。
政府(首相)
↓ 開発戦略委員会 SBPAC ISOC ↓ ISOC第4管区2012年12月以降(問題解決センターの設置)2010年にSBPACがISOCから独立して以来、両者間の調整がうまくいかなくなっていました。紛争の激化で首相はSBPACとISOCから別々に上がってくる情報を総合的に分析してすばやく計画を立てる新たな機関が必要だと判断、再び軍を中心とした
War Roomの設置を決めます。
政府(首相)
↓ 開発戦略委員会 ↓ 問題解決センター SBPAC ISOC ↓ ISOC第4管区そして、
すったもんだした問題解決センターの設置承認から3ヶ月たった今
ほとんど機能していません。原因はよくわかりませんが、首相がセンター責任者として任命したチャルーム副首相が積極的でないのは事実のようです。
メモ:
問題解決センター提案当時の報道。
副首相の説明(映像)