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タイ深南部勉強ノート

英語、タイ語、マレー語、日本語からタイ深南部紛争地域の情報をぼちぼち整理しています。 自分用のメモなので時々書き直し、追加あります。

混乱が進む状況下の人権[2]:人権と治安に関する研究者の見解1/3 (DSW 2009-06-03)

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混乱が進む状況下の人権[2]:人権と治安に関する研究者の見解1/3 (DSW 2009-06-03)

ディープサウスウォッチ

 南部県公共サービスプロジェクトは、パッタニー県のCSパッタニーホテルにおいて異常事態における人権と題したセミナーを開催した。ディープサウスウォッチはこの中で二人の研究者の発表を記録し文書化した。

人間の生活の中で人権と治安は補完しあいながら関連している。治安の目的は人々の生命と財産を守ることであり、人権は人間の幸福に欠かせないものである。しかし、この二つの間の境界は何だろうか?そして重要なのは、なぜこの二つともタイの南部国境県の紛争と暴力という文脈の中では十分に発展していないのであろうか?

こういった疑問に取り組むために、二人の政治学者- タネット アポンスワンとチッドチャノックラヒンムラ - に南部国境県における人権と治安に関する問題、特にこれら二つの人間生活の重要な側面がこの問題多発地域で改善されるにはどうしたらよいかという点についてコメントを求めた。

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「人権を確立する目的は、人々が民主主義から得られるものを発展育成することである。もし、我々が人権の促進について語るならば、しなければならないことは多数派に力を与えることである。

タネット アポンスワン准教授
タマサート大学教養学部東南アジア学科長



私は異常な状況、特に政治制度の面での異常事態とは何かについて考えようとしていた。 私の理解では、正常な状態- すなわち正常な政府- では、政府または統治に関わる制度はどれも、エンジンが始動して一度動き出すとそのまま続いて行くという同じ方法で動いている。運転手(政府の場合は政治家)はただそれに付いて行って制度を操作するのみである。

もし、そのような制度が正常な状態として理解されるなら、異常な状態はその逆である。異常な状態は、統治制度があるべき姿で運営されていない状態である。それどころか正常な状態だと見なされる状況に外部の手が干渉する形で動いている状態であろう。別の言葉で言えばこの種の異常な統治は、政府が効果的に運営すべき司法権とは一致せずに動いているのである。そのような異常な状況下では、他国はこの政府の存在を認めることはほとんど不可能であろう。さらにこの異常な政府の司法制度は大多数の人々の意思に沿わないものであり、他国の目からは信頼に値しないとされるものであった。

 国家が異常な状態を経験した場合、社会の規範や法は影響を受けることになる。比較的まともな政府を持っている現代国家の人々はだいたい平和的に暮らすことができる。なぜなら彼らはお互いのことや法について一般的な理解を持っているからである。私の経験に基づけば、人間は比較的満たされていて幸せであればだいたい他人に対して理解を示し寛容であるものだ。

 長引く紛争は伝統的国家もしくは低開発国家においてのみ起こるとする必要はないだろう。しかし伝統的国家の人権問題という点では、権力のある個人または集団は、実際に人権を弱める方法で権威を行使することが可能である。物質的な利益を得るために行われる場合もあるし、単に政治権力を維持するために行われることもある。

 伝統的国家の権力保持者が人権侵害を行う可能性があることの理由の一つは、住民の大半は民主的な制度に頼ることができないためである。とは言え支配者が公正で善意にあふれている限り住民の大半は恩恵を受けることができる。

 しかしながら、伝統的な統治形態の国が民主主義へと移行していく場合、考え方や態度も同時に変わる。民主的な統治制度の下では権力は人々に属している。これは権力が一人の支配者または権力エリートの手にある多くの伝統的で前近代的な国家と全く対照的である。民主国家の国民は政治の活動領域でより大きな役割を担うことを期待されている。

しかし、伝統的前近代国家が民主的統治へと移行しようとしている時、その地域の人々の多くはその伝統文化や政治権力に慣れてしまっている。このような状況下では、民主主義への移行は困難であり長期化する。なぜなら主な理由として伝統的支配者が多数派と言った新しい挑戦者に権力を奪われるのを好まないからである。
 
したがって、現在タイの一部の人々が求めているものは、この国を歴史的に統治してきた伝統的特権階級の権力に対する挑戦と見なされている。

しかしながら、合衆国に目を向ければ、タイとは全く対照的であることに気がつくであろう。合衆国では、タイにずっとあったような種類の政治権力構造は。200年以上前に合衆国憲法の最初のそして唯一の憲法が公布されて以来一度も存在したことがなかった。合衆国には不平等が確かに存在していたが、タイと比肩するような明確な階級区分はなかった。これはおそらく主権を求めて移住した初期の移住者達から来ているのだろう。

 200年以上の間、そして現在でも合衆国で社会的政治的問題が起こると、人々の間の権力配分の比較的平等ーーー少なくとも権利の平等ーーーを前提として解決策が取られてきた。この種の制度では、誰もが一定の利益を得ることができる。しかし、合衆国のこの種の制度は他の国で再現することは難しい。それは歴史的背景が全く違うからである。

一部の人々 - 特に人権を軽んじる傾向のある人々 - は人権とは要求に他ならないと見ている。しかし、歴史を振り返れば、社会にはいつも何かしらの形で人権が存在してきた。典型的には、それは一般の普通の人々と権力を持つ人々の間での交渉という形を取ってきた。歴史の記録は人権のことになると民主主義政府が伝統的どころか独裁主義的な政府さえ上回るのを示している。しかし、タイの奴隷制度下でも、奴隷は所有者から保護(とそれにともなう安全)を受けていた。このような状況下では、所有者に対して不満があれば奴隷は他の所有者と暮らす権利があった。このケースの場合、奴隷が以前の所有者から欲しいものを受け取らなくなったためその奴隷が他の所有者へ移ったことに気がつくと、賢い所有者はその奴隷が戻ってくるようインセンティブを支給するであろう。

しかし、今日の世界では基本的人権を守ることは民主主義の発展のために絶対に欠かせないものである。法律で保障された人権の存在により、人々が自由に表現でき、より市民的で民主的な社会への変化を促せるのである。そうすれば、武力侵略の可能性を減らし、犯罪や汚職が撲滅され、暴力紛争を防ぐことができるのである。(続く)


ソース
http://www.deepsouthwatch.org/node/312 (英語)
http://www.deepsouthwatch.org/node/294 (タイ語)



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メモ:
久しぶりに翻訳(仮約)しましたが、あまりに長いので3分割しました。
時間がもっと欲しい・・・。

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